第45回NHK紅白歌合戦
第45回NHK紅白歌合戦 | |
---|---|
![]() 会場のNHKホール
| |
ジャンル | 大型音楽番組 |
出演者 |
上沼恵美子(紅組司会) 古舘伊知郎(白組司会) 宮川泰夫アナウンサー(進行役)他 |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 |
![]() |
放送期間 | 1994年12月31日(日曜日) |
放送時間 |
20:00 - 21:25 21:30 - 23:45 |
放送分 | 220分 |
回数 | 1 |
NHK紅白歌合戦公式サイト | |
番組年表 | |
前作 | 第44回(平成5年) |
続編 | 第46回(平成7年) |
第45回NHK紅白歌合戦 | |
---|---|
ジャンル | 大型音楽番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1994年12月31日 |
放送時間 | 1994年12月31日 |
放送局 | NHKラジオ第1 |
公式サイト | 公式サイト |
『第45回NHK紅白歌合戦(だいよんじゅうごかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1994年(平成6年)12月31日にNHKホールで行われた、通算45回目のNHK紅白歌合戦。20時から21時25分および21時30分 - 23時45分にNHKで生放送された。
目次
概要[編集]
放送開始が20:00(JST)に繰り下げられ、以後第49回(1998年)まで20:00の放送開始となる。これは「4時間以上は長い」との声に応えたものである[1]。また、NHKの旧ロゴマークが使用された最後の紅白となっている。
放送まで[編集]
![]() |
- 今回の司会者は11月16日、出場歌手は12月1日、曲目は12月14日、曲順・審査員は12月21日に発表された[2]。
- 白組司会には古舘伊知郎(元テレビ朝日アナウンサー)が起用された。古舘は史上初の民放のアナウンサー出身の紅白司会者となった[3][4]。前年放送を開始した『クイズ日本人の質問』での司会ぶりを買われて且つ制作者一同が起用を一致した上での抜擢である[5][6][7]。古舘はここ数年前から白組司会の候補に挙がっており、特に前回では最終的に番組側が起用を見送る格好となっていた[注 1]。古舘の起用は前年末の時点で内定しており[8]、『スポーツニッポン』で起用をスクープされていた。
- 古舘に対抗する紅組司会は全く下馬評に出なかった上沼恵美子が起用された。仕事は基本的に在阪局に絞って行い、あまり在京局やローカル局では仕事をしないスタイルの上沼は当時全国的な知名度は低かったものの、紅組司会に抜擢され、本紅白での絶妙な仕切りが注目され、知名度・人気を一躍全国区のものとした。2014年1月12日放送の読売テレビ・中京テレビ『上沼・高田のクギズケ!』で、紅白司会担当後在京局から11本に及ぶレギュラー番組のオファーがあったことを本人が明かしている[注 2]。上沼は司会発表会見で「私では番組の価値が下がる・番組を傷つけるのでは」「息子がいじめられる」との理由で紅組司会を辞退するつもりだったことを明かした[10]ほか、『毎日新聞』(1994年12月31日付)のインタビューで「NHKから紅白司会の話があったのは11月に入ってから。この時点で正月にハワイへ家族旅行をする予定を立てていたため、受けるか悩んだ」「夫(上沼真平)が仕事を全て反対してくるため、この仕事も絶対に反対すると思っていたが、『引き受けないと君が一生後悔するだろうから』と応援の姿勢を示してくれたので、受けることにした」と語っている。後に自身のドキュメンタリー番組『快傑えみちゃんねる番外編 誰も知らない上沼恵美子~還暦からのスタートから』(関西テレビ。2015年10月3日放送)で上沼は今回の紅組司会について、「上沼恵美子なんて大阪だけのタレントです。それをNHKが紅組の司会に起用したっていうことは風当たりも強かったですし、やはりベテラン歌手にはいびられました」と語った[注 3]。また、上沼は出場歌手との面談の際、「横を向いて目を会わせてくれない方が4、5人いた」と『あさイチ』(2015年12月25日放送)で語っている(「その人たちは未だに大っキライです」とも述べた)[12]。
- 紅組司会の候補としては上沼以外に黒柳徹子、十朱幸代、いしだあゆみ(この年の連続テレビ小説『春よ、来い』に出演)、由紀さおり、山田邦子、森口博子(『ポップジャム』司会者)、和田アキ子(この年の『思い出のメロディー』司会)が挙がっており、司会発表直前の時期にはこれらの名前が連日マスコミ報道で出されていた[13]。この起用は益弘春男とプロデューサー2人が、上沼が当時レギュラー出演していたNHK大阪制作『バラエティー生活笑百科』での彼女のトークを見て紅白の司会に向いていると判断したことや先に内定していた古舘に対抗できる話術の持ち主と判断されたことがきっかけであり[注 4]、4月に司会候補に挙がったという[16]。
- 上沼によると、(紅組司会の打診を受けた際)スタッフから「この話を口外するな」「(承諾の場合)28日には東京に入ってほしい」と言われ、「(28日から家を空けることになるため)夫にはこの話をさせてほしい」と返したところ、駄目だと言われたため断ったと話す。その後、スタッフから電話で「ご主人だけに言って良い」と言われると同時に再度オファーを受け、夫に伝えると、まず彼は「(御節料理の)黒豆はどうする?」と聞いてきたという[15][17][18]。
- 上沼は海原千里・万里時代の第26回(1975年)に同コンビとして紅組応援団を務めた経験がある[注 5]。
- 上沼の起用はNHK大阪局の関係者からも「ミスキャスト」との声も上がっていた[19]。
- 両組司会発表の際、NHKは「今回は総合司会を置かない」と発言[20][21]。実際の放送では、宮川泰夫が「進行役」名義で出演し、例年の総合司会と同様の役割を担った。
当日のステージ[編集]
![]() |
- 今回は出場歌手・両組司会共に対戦色が強く見られた[22](翌年の第46回も同様)。例年以上に両組司会がクローズアップされた回であり、進行役の宮川は必要最小限の進行補助(オープニング・エンディングの進行や攻守交替のアナウンス)を行うに留まり、大半の番組進行は審査員紹介も含めて上沼・古舘が担当(同コンビが続投した第46回も同様)。
- オープニングは、NHKホールの壁面に出場歌手と両組司会の写真が映し出される場面から始まり、ホール内に画面が切り替わると上沼・古舘がそれぞれ紅・白のガウンを身に纏い、1階客席奥からステージに向かい、ステージ上でガウンを脱ぎ捨てるという演出があった。両組司会は恒例となっている晴れ着姿ではなく、洋装で登場した。
- テロップは、各司会者は第43回(1992年)以来2年ぶりとなるカラーテロップが使われたが、座布団は使われていない。歌手は帯付きのアニメーションテロップ。
- 審査員紹介時、上沼は紅組司会の先輩である森光子に「大変尊敬しています」と述べた。
- 第1部の紅組トリである島倉千代子(この年デビュー40周年)の「人生いろいろ」の場面では、まず、曲前に森より「島倉さんは尊敬しています。『人生いろいろ』ありますけれど、どうぞ歌一筋に頑張ってください」と島倉にメッセージが述べられた。そして、曲の途中から上沼と紅組歌手一同が島倉のバックに集結するという演出があった。
- 松田聖子と藤谷美和子の歌唱時の衣装が、いずれも背中に羽の生えた天使をイメージした物であった(色はそれぞれ白と黒で異なる)ことから一部メディアで「衣装が被った」と評された。
- 吉幾三の歌唱前、古舘が吉の2人の娘から預かった父への手紙を朗読。楽曲が「娘に…」という、娘にあてた曲であるため、吉は感極まってしまい、歌い出しから一番の途中までは涙声に。2番からは持ち直して歌いきり、曲中のバックには吉の家族での写真などがスライドで映された。また、吉の歌唱と前後して北海道地方で地震が発生し、地震情報がテロップで表示された。
- 工藤静香はこの年交際が発覚したYOSHIKIが率いるX JAPANと直接対決した(2人は後に破局)。
- 今回の衣装対決は小林幸子と美川憲一の直接対決。美川は2番の歌唱中に早着替えを行い、最後には宙吊りで空を飛び「幸子、おだまり」の一言で暗転し小林が登場。小林はナイアガラの滝をイメージしたセットを使用。元々は本物の水を使用する予定だったが、この年深刻な水不足が起こったことを考慮し、ドライアイスで代用した。
- 小林・美川の対決と前後して22:50頃に東北地方で地震が発生し、地震情報を随時テロップで報じていた。
- 森進一は紅白で3回目の「おふくろさん」歌唱となった。なお、今回紅白で初めて同作詞者の川内康範が制作していない台詞付のものを披露した。
- 和田アキ子と小林旭の対決では、同一の合唱団(現役大学生によって結成された合唱団、「東京シティ合唱団」と「Revolution」)が登場した。小林旭の歌唱後、合唱団が聖歌を歌い、そして和田が登場するという演出があった。
- キム・ヨンジャはNHKが実施したアンケートである「戦後50年で思い出深い歌」「紅白で聴きたい歌アンケート」で共に1位となった「川の流れのように」(美空ひばり)を歌唱[23][24]。
- 紅組トリおよび大トリには都はるみ、白組トリには五木ひろしと共にトリには両組揃ってこの年デビュー30周年を迎えた歌手が選ばれた。都の紅組トリ担当は復帰翌年の第41回(1990年)以来4年ぶりだが、大トリ担当は自身の引退舞台とした第35回(1984年)以来10年ぶりとなった。
- 9対8で紅組が優勝。上沼は紅組司会の先輩である和田と抱擁した(和田は上沼を「偉い!」と労った)。進行役の宮川に「1点差での敗戦」の感想を聞かれた古舘は「普通こういう時って悔しいと思うんですけど、凄く悔しいです」と述べた後、白組歌手に「すみません」と謝罪した。古舘は翌年の白組司会の際にリベンジを果たしている。なお、今回の上沼のケースを最後にNHKアナウンサー以外が紅組司会を務めた回での紅組優勝は第62回(2011年)[注 6]まで途絶えることとなった。
- エンディングの「蛍の光」大合唱の合唱団に混じって松本明子が日本テレビ系列『進め!電波少年』の企画で出演しており、「紅白もらった」という幟を出した[25]。ただ、オンエアの映像ではそれを判別することは出来ず、翌元日放送の『平成あっぱれテレビ』で日本テレビが独自に撮影した映像を流した。
その他[編集]
- 審査員の候補には長嶋茂雄、大江健三、向井千秋も挙がっていた[26]。
- 今回の中断ニュースは前回の総合司会である森田美由紀が担当した。
- 上沼は年明けすぐのインタビューで「あぁ、ほんとしんどかった。もう(紅白の)司会はしません」と公言したが、第46回でも紅組司会を務めた。翌1995年(翌月)に自身の出身地・兵庫県三原郡南淡町((現:南あわじ市)も大きな被害を及ぼした阪神・淡路大震災が発生、第46回の紅組司会の打診を受けた当初は拒否したが、「阪神・淡路大震災で被害に遭った人々を元気づけてほしい」と懇請されたため受け入れたというエピソードがある。
司会者[編集]
演奏[編集]
審査員[編集]
- イチロー(オリックス・ブルーウェーブ外野手):この年シーズン日本最多安打記録(当時)となる210安打を達成。
- 赤井英和(俳優):この年の連続テレビ小説『春よ、来い』の竹中洋介役)
- 奥野史子(シンクロナイズドスイミング選手):この年の1994年アジア競技大会シンクロナイズドスイミングソロおよびデュエットで金メダル獲得。
- 岩下志麻(女優):翌年公開で夫・篠田正浩監督の映画『写楽』に出演。
- 羽生善治(棋士):この年将棋七大タイトルのうち王将以外の六冠を獲得。
- 南井克巳(JRA騎手):この年ナリタブライアンで三冠競走+有馬記念、マーベラスクラウンでジャパンカップ制覇。GIレース5勝の大活躍。
- 賀来千香子(女優):翌年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』の須磨役。
- 川本ゆかり(元新体操選手):この年の全日本選手権で5連覇、アジア大会でも優勝し現役を引退。
- 市川崑(映画監督):この年文化功労者に選出。
- 森光子(女優):この年芸能生活50年目を迎えた。
- 松尾武・NHK番組制作局長
- 客席審査員(NHKホールの観客全員)
大会委員長[編集]
- 中村和夫・NHK放送総局長
出場歌手[編集]
選考を巡って[編集]
これまで出演辞退を続けてきた吉田拓郎が初出場(「(出場は)これが最初で最後!」と述べた。実際唯一の出場となっている)。拓郎からは発表日前日の20時に承諾の報があり、25組目の当選者となった[27]。当日のステージでは日野皓正(トランペット)、渡辺香津美(エレキギター)、宮川泰(キーボード)、日野元彦(ドラム)、大西順子(ピアノ)、石川鷹彦(アコースティックギター)、金沢英明(ウッドベース)、吉田建(ベース)という大物ミュージシャンがバックバンドを務めた。コーラスとして、五木ひろし、森進一、前川清が参加するなど、初出場ながら、NHKが長年出場を心待ちにしてきた歌手が出演するとあって、特別待遇とも云える扱いがなされた。拓郎の後のインタビューで本紅白出演について、「ウンザリしました。絶対に出ません。もうこりごり。ゴメンです」と述べた[28]。
紅白45回を記念して、当時紅組最多出場者の島倉千代子(第39回(1988年)以来6年ぶり)を筆頭に、西城秀樹(第35回以来10年ぶり)、松田聖子(第39回以来6年ぶり)、沢田研二(第40回(1989年)以来5年ぶり)、郷ひろみ(第41回以来4年ぶり)と、往時のアーティストを多くカムバックさせた。
その一方で、前回まで6年連続出場(通算20回)をしていた八代亜紀が落選した[29]。
前回ゲスト歌手として出演した小椋佳が白組歌手として初出場を果たす。
今回から第48回(1997年)までNHK新人歌謡コンテストの優勝者に紅白の出場権が与えられた[注 9]。今回は田川寿美がそれによって出場を掴んだ[注 10]
今回から第59回(2008年)までジャニーズ事務所所属グループからの出場歌手はSMAPとTOKIO(今回初出場)の2組のみとなった[注 11]。
松任谷由実(この年の連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌「春よ、来い」を担当)・竹内まりや・CHAGE and ASKA・Mr.Children・中島みゆき・ZARDらが出場を辞退した[30]。
その他[編集]
北島三郎は今回の出場で白組歌手の最多出場となった。
中山美穂・工藤静香・ケー・ウンスク(現:ケイ・ウンスク)は翌年に落選し、第39回初出場以来の連続出場が今回で途切れる(いずれも通算7回)。中山とケーはそれ以来、紅白へは出場していない(中山は徐々に活動の重点を女優業に移し始めていたため)が、工藤は4年後の第49回(1998年)で1回限りながら復帰を果たした。
X JAPANも第42回(1991年)の初出場以来の連続出場が今回で途切れる。彼らは第48回(1997年)[31]、第66回(2015年) - 第68回(2017年)で復帰している[32]。
ゲスト出演者[編集]
- 海老一染之助・染太郎:長保有紀の曲紹介。
- ミッキーマウス、ミニーマウス、ドナルドダック、デイジーダック、プルート、グーフィー、チップとデール(ディズニーキャラクター):「Mickey Mouse Our Shining Star〜輝くスター ミッキー・マウス〜」。
- プラクティカル・ピッグ、フィドラー・ピッグ、ファイファー・ピッグ、ビッグ・バッド・ウルフ(ディズニー映画『三匹の子ぶた』のキャラクター):同上。
- 白雪姫、ドーピー(同じく『白雪姫』のキャラクター):同上。
- ピノキオ(同じく『ピノキオ』のキャラクター):同上。
- ピーター・パン(同じく『ピーター・パン』のキャラクター):同上。
- オーロラ姫、フィリップ王子(同じく『眠れる森の美女』のキャラクター):同上。
- リトルゴジラ(映画『ゴジラvsスペースゴジラ』の怪獣):SMAPの曲紹介。
- ゴジラ(同じく『ゴジラvsスペースゴジラ』の怪獣):SMAPの曲中および第2部オープニング。
- 安達祐実:DREAMS COME TRUEの曲紹介。
- 周富徳:米米CLUBの曲紹介。
- シェイプUPガールズ:西城秀樹のバックダンサー。
- ハイヒール:大月みやこの曲紹介。
- ププル、カバプー、ピポ(1995年夏季ユニバーシアードマスコットキャラクター):山川豊の曲紹介。
- 千堂あきほ:香西かおりの曲紹介。
- 桂文珍(『クイズ日本人の質問』ものしり博士役):第2部ブレイク。
演奏ゲスト[編集]
- THE THRILL:久宝留理子のブラスバンド伴奏。
- 日野皓正:吉田拓郎のトランペット伴奏。
- 大西順子:ピアノで同上。
- 日野元彦:ドラムで同上。
- 渡辺香津美:ギターで同上。
- 金沢英明:ベースで同上。
- 石川鷹彦:ギターで同上。
- 吉田建:ベースで同上。
- 宮川泰:オルガンで同上およびエンディング「蛍の光」で指揮担当。
- 村上“ポンタ”秀一:沢田研二のドラム伴奏。
- 大村憲司:ギターで同上。
- 羽田健太郎:キム・ヨンジャのピアノ伴奏。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 「民放のアナウンサー出身ということでNHK内に一部慎重な声があったため起用が見送られた」と週刊誌で報じられた。
- ^ これらオファーは「夫(上沼真平)の方が大事だからですよ」と全て断った[9]。
- ^ ただし、翌年の第46回での紅組司会の際は「ころっと変わりました。大事にされました」と話している[11]。
- ^ スタッフは10月27日、大阪のホテルに赴いてそこで彼女に紅組司会の打診を行った[14][15]。
- ^ さらに、その翌年である第27回(1976年)では当初海原千里・万里の紅組司会起用案もあったという。
- ^ 同回の紅組司会は井上真央。
- ^ 「すき」「WINTER SONG」のメドレー
- ^ 「手紙」「浪漫飛行」のメドレー
- ^ 1998年にNHK新人歌謡コンテストは廃止。
- ^ この年のNHK新人歌謡コンテストは3月12日開催であり、同日の時点で田川の出場が真っ先に決まる格好となった。
- ^ 他グループについては、バックダンサー・応援ゲスト・コーナー出演者など、出場歌手として以外の出演は行われている。
出典[編集]
- ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』、185頁。
- ^ 『富山新聞』のそれぞれ翌日付記事より
- ^ 古舘氏『報ステ』降板へ 偏向報道を指摘する声も 後任候補はだれ? (2/2ページ),ZAKZAK,2015年12月24日
- ^ 『読売新聞』1994年11月17日付
- ^ 『スポーツ報知』1994年11月17日付
- ^ 牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』
- ^ 合田『紅白歌合戦の舞台裏』、185頁。
- ^ 『デイリースポーツ』1994年11月17日付
- ^ “上沼、たかじんさんを毒舌と涙で追悼”. デイリースポーツ. (2014年1月12日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ 『サンデー毎日』1994年12月号
- ^ “上沼恵美子、紅白司会でいびられた”. デイリースポーツ. (2015年10月3日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ “上沼恵美子、紅白初司会いびられた過去”. デイリースポーツ. (2015年12月25日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』,185頁。
- ^ 牧山『想い出の紅白歌合戦』、32~33頁。
- ^ a b “上沼恵美子、「紅白歌合戦」司会を依頼する際のNHKの態度を明かす”. トピックニュース (ライブドア). (2015年12月25日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ 『スポーツニッポン』1994年11月17日付
- ^ ライオンのごきげんよう ゴールデン!大物だらけのサイコロSP ,goo
- ^ 上沼恵美子「紅白オファーの裏事情」を明かす!,日刊大衆,2016年4月3日
- ^ 『週刊現代』1994年12月号、54~55頁。
- ^ 『読売新聞』1994年11月17日付
- ^ 『朝日新聞』1994年11月17日付
- ^ 太田省一『紅白歌合戦と日本人』
- ^ 『富山新聞』1994年12月15日付
- ^ 合田『紅白歌合戦の舞台裏』、185頁。
- ^ 「紅白歌合戦」と「電波少年」の激しいバトルを振り返る!,90'S チョベリー,2016年10月10日
- ^ 『デイリースポーツ』1994年11月17日付
- ^ 合田『紅白歌合戦の真実』
- ^ 異例会見!拓郎節全開 “病人扱い”にNO 紅白復帰も拒否「こりごり」,デイリースポーツ,2016年10月28日
- ^ 『読売新聞』1994年12月2日付東京朝刊、34頁。
- ^ 『読売新聞』1994年12月5日付東京夕刊、9頁。
- ^ 解散ステージ。
- ^ 同リーダーのYOSHIKIは「YOSHIKI feat. HYDE」名義で第69回(2018年)にも出場。
参考文献[編集]
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
外部リンク[編集]
- NHK紅白歌合戦公式サイト
- NHK総合「紅白歌合戦」 - ビデオリサーチ。1962年(第13回)以降のテレビ視聴率を掲載。
|
|
|